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真鍋淳哉先生!シリーズ・実像に迫る016『戦国江戸湾の海賊―北条水軍VS里見水軍』インタビュー

真鍋淳哉先生!シリーズ・実像に迫る016『戦国江戸湾の海賊―北条水軍VS里見水軍』インタビュー

メディアでも多数紹介され、刊行記念トークショーは満員御礼、多方面から注目されている真鍋先生と“戦国江戸湾の海賊”。真鍋淳哉先生に、「天気がいいから火を付けてこい」でお馴染み、シリーズ・実像に迫る016『戦国江戸湾の海賊―北条水軍VS里見水軍』のお話を伺いました!

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① 『戦国江戸湾の海賊』の企画の依頼を受けたときの率直な印象はいかがでしたか?

以前に、北条氏の水軍関係の論文を何本か書いたことがあり、それをご覧になられて企画していただいたのでしょうが、まずとにかく、「それは面白いですね!」というのが第一印象でした。戦国時代の江戸湾の実態や、当時の「海賊衆」の存在形態は、どう考えても「面白い」と思っておりましたので、それをみなさんに知っていただける機会を頂戴したことを大変うれしく感じたのをよく覚えています。

 

② 『戦国江戸湾の海賊』で書くのが楽しかったところ、難しかったところはありますか?

こうしたテーマを以前に扱った際には、いわゆる「古文書」を中心に論じましたので、正直なところ、あまり「歩く」という作業をしてきませんでした。でも今回は、写真収集も兼ねて、横浜市域などを歩いてみたところ、案外身近な地域に「海賊伝承」が残っていることに気付かされ、とても興味深く感じました。お寺などでお話を伺ううちに、思いもしなかった情報を教えていただくような機会もあり、とても楽しく、貴重な経験をさせていただきました。横浜市鶴見区にある松蔭寺の前住職にお話を伺った際、私の中学校・高校の大先輩であったことがわかり、それをひとつのきっかけに、色々な情報を教えていただき、とてもありがたかったです。難しかった点は、里見氏の水軍関係です。北条氏の場合と異なり、まとまった史料が残されておらず、全体像がなかなか掴みにくいところがありました。

③ ②を受けて)ズバリ読み所はどこでしょうか?

「読み所」はたくさんあるのですが、強いて挙げれば、まずは戦国時代の「海賊」の性格ですね。一般的なイメージである、「不法勢力」とは決して言えない点を感じ取っていただければと思います。ただ、戦国大名の家臣というと、城下町に集住させられ、地元から切り離された「鉢植え」的存在と思われがちですが、北条氏の水軍の将梶原氏のように、明らかな「傭兵」で、「こんな給料でやってられるかい!いいよ、本国へ帰りますよ!」と、戦国大名を脅すような「家臣」もいたという部分に注目していただければと思います。二つ目は、海賊の脅威にさらされる「庶民」の姿です。海賊衆に対して、大名が「風がなく、波が穏やかな日には、対岸に渡って、向こうで火つけてまわってこい!」と物騒な指示を出すなか、江戸湾岸の村々やそこを拠点とした流通商人たちは、日常的に危機状態にあったわけです。でも、現代でもそうでしょうが、庶民とは案外したたかなものです。彼らが、大名権力と駆け引きをしながら、こうした危機を回避するためにどう対処していたのか、そこの部分をぜひ読み取っていただきたいと思います。

④「海賊」というと不法者や野蛮なイメージを抱きがちですが、日本中世の「海賊」は実際どのような存在だったのでしょうか?

難しい質問ですが、とにかく、近代の海軍のように、系統が一本化された、直属の組織ではなかったということです。北条氏の場合、「海賊衆」のトップには、生え抜きの水上領主や、梶原氏のような「傭兵的」な海賊がいました。その下には、日常的には漁業や流通業を営みながら、戦時には「水軍」として機能した「海民(かいみん)」がいるという、きわめて混成的要素の強い存在だったのが実態だと思います。その意味からいえば、戦国期の「海賊」、特に末端部分は、軍事専門業者ではなかったといえるでしょうね。それと、これはヨーロッパでもそうでしょうが、「海賊」は必ず一定のルールに則って行動し、自らが権益を持っている海域を無断で航行するなど、相手が「不法行為」を行った場合のみ、制裁として略奪などを行っています。それはある意味、「合法的行為」なのです。「海賊」というと、「パイレーツ」のイメージがあるかもしれませんが、日本の前近代の場合、私は「バイキング」に近いのではないかと思っています。

⑤今後、書いてみたいテーマなどはありますか?

私は、根が「雅」なものですから(真顔。キリっ!)戦国大名の文芸などの教養、またそうした面を通じた、朝廷や幕府といった京都世界との交流を扱ってみたいです。「海賊」とはまったくかけ離れているかもしれませんが(笑)。足軽・雑兵ならいざ知らず、大名にとって、和歌のひとつも詠めず、『源氏物語』の「桐壷」も読んだことがないなどというのは、大名たる資格なしというのが当時の状況だったと思います。それはなぜかという部分、さらに言えば、当時の文芸は決して遊びなどではなく、戦国大名や武将たちにとって、交流を図るための重要な「武器」だったと思っています。以前に戎光祥出版さんで出版させていただいた『三浦道寸』で触れていますが、道寸自筆の可能性が高い「古筆切」を縁あって入手しました。そうした史料も交えながら、こうしたテーマを取り扱ってみたいです。


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真鍋先生、大変お忙しい中インタビューにお答えくださり誠にありがとうございます!先生のお話は的確かつユーモアがあり聞き入ってしまいます。天気がいい日は火を付けに行ったり、大名を脅す家臣がいたり、戦国江戸湾の海賊のお話はいつ聞いても面白く大変興味深いです。今後機会がありましたら、ぜひ真鍋先生にも戎光祥ヒストリカルセミナーで講師としてご登壇いただければと思います。

インタビュー日時:2018年12月25日

2018-12-27 11:17:13

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